ヤギを飼う方は、大きく「自然派」と「管理派」に別けられる気がします。
自然派とは文字通り、ヤギの飼養や繁殖、子育てを自然に任せるやる方で、管理派はそうではなく、人間が科学的に介入できるところは介入し、よりレベルの高い飼養を目指すものです。私は自然派で、しかし一部に管理的な要素も取り入れている者だ、と自認しています。
中央アジアの放牧民に訊くと、飼い易いヤギの群れは300頭、と応えるそうです。肉をとり、ミルクを搾り、毛皮を鞣して生計を立てるためにも、それだけの数は必要で、それほどの頭数であれば必然的に自然派の飼い方になります。彼らにしてみると、私は、自然派からは遠い存在で管理派の典型なのかも知れません。この「ヤギ飼い記」に綴ったことも大方は理解されない気がします。しかしだからと言って、彼らの自然的なやり方が粗末で酷いかというとそうでもなく、なかなか工夫して理に適ったことをやっているようなのです。地域の文化や環境などに合った飼養のスタイルを持っています。
酪農家の方はほぼほぼ管理派と言えます。繁殖は100%人工授精、親子分離して代用乳を哺乳ロボットで上げるところも多くあります。人手をかけずに大規模化を図って産業性をあげる努力を続けてきました。
岩手を中心にした短角牛はそうではなく、夏期の放牧と冬期の舎飼いを組み合わせた夏山冬里方式です。子牛は 3~4月に牛舎において誕生し、 5月中旬から秋にかけて母子で放牧されます。放牧地で母牛は子育てしつつ,種雄牛との自然交配により,次の妊娠をします。北東北の厳しい自然条件、社会・経済条件に適応するように長い年月をかけて作り上げられてきたやり方で、自然と折り合った農業生産の典型と言えます。
もうひとつ別の視点でヤギ飼いさんを大別してみます。
人は誰しもいろいろな経験を経て成長していきます。しかし、それらの経験によって見たもの、得た知識というのは案外限定的で、裏に隠れて見えないものや経験の範囲では得られない知識がたくさんあります。それはヤギに関しても言えます。
積極的・能動的に、見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せるグループを「積極派」としましょう。
そうではなく、自らの経験の範囲や受け身で得られる情報に閉じてしまうグループの方も居ます。「受動派」とでもしましょう。
私は積極派の部族です。このサイトを訪問しておられる方もそういう方が殆どだろうと思います。ヤギを飼っている多くの方は「受動派」に属します。
知り合いの兼業農家の方は、役場に勤める傍らで米をつくっています。親のやり方を踏襲し、JA等からの技術指導を仰いでそつなく造っています。農薬も安全な範囲で使います。ただ、何故、どういう意味でその薬を使うのか、理解していないと言います。使わないで隣の田んぼの人に累が及ぶと叱られるから使っている、そうです。
好ましくないと想われるでしょうが、イヌやネコをお飼いの方は大体がこんな感じですよね。ペットフードやおやつを与え、なにかあればかかりつけの獣医に相談し、そのとおりにする。米でも、イヌやネコでも、それで済む社会をつくってきたのです。
ところがヤギに関しては、社会にそういうバックアップの基盤がありません。ヤギの飼い方を指導してくれる方も、ヤギに詳しい獣医さんも傍にはなかなか居ないものです。だから、飼う環境を飼い主が構築し、餌のあげ方も試行錯誤し、除角や去勢やお産の介助、里親探しまで飼い主がやり、様子が変な場合の応急措置も飼い主がやります。やらざるを得ないのです。
見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せた結果、自分は自然派で行こうとなったり、管理派に変わったりしていくことは、そのどちらであっても良いと思います。
ただ、是非「積極派」であって欲しい。見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せることに喜びをみいだして欲しいと節に願います。
少しの知識があるだけで死なずに済む命もあります。
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