話しが大きくなりますが。
私たちの食卓は、随分と脆弱な基盤の上に乗っているものであると思います。地方に暮らすと、耕作放棄地が年ごとに増えていく様を目の当たりにします。おつきあいしている農家や酪農家さんなどの声には、諦めのトーンが漂うようになってきました。「壊滅」という言葉が浮かんできます。
食料・農業・農村基本法が2024年5月に改正されました。産業振興を骨子とした旧法は廃止され、「食の安全保障」を主軸にしたものに生まれ変わります。ただ、いくら法律が変わったとしても、便利で効率が良い経済性の高いものを至上とする、私たちの考え(主義)や生活のスタイルが変わらなければ、世の中に良い変化は起きないでしょう。それは実に難しいことです。「Sustainability」といったお題をいくら唱えても、便利なモノ、快適なモノに慣れてしまった私たちに時代を遡ることはできないからです。そこで、私は、ヤギの飼養数がひとつのバロメーターになる、と真剣に考えています。
理由は簡単です。
・ヤギは飼い易いため、お子さんや女性の方でも十分世話ができる。
・ある程度の広さの放牧地などの環境があれば、十分飼える。
・家畜臭なども強くなく、愛らしい動物である。
つまり、大規模な施設などは無用。畜産の設備や技術がなくとも、少しの環境と手間とで、多くの方に広く分散して飼っていただくことができます。また、
・いくら飼い易いとは言え、その世話には手間暇がかかる。飼い主である人間に、丁寧な生活の仕方が求められる。
・健康になるためには牛乳を買って飲むより、毎日、ヤギの世話をして、規則正しく、体を動かす生活習慣を身につけることの方が大事であることが分かる。
・ヤギは草食の臆病な動物なので、人間の大袈裟な動作や大きな怒鳴り声などを嫌う。このような動物と接していると、飼い主が自然に柔和に穏やかになる。
つまり、ヤギを飼い出すと、せかせか結果を迫る成果至上主義的な思考から解放されます。今、頑張って稼いでいることが、幸せにつながるのか、逆にそれをそぐうのかを教えてくれるのです。
もし、ヤギを飼う人たちがこれから増えていくようなら、その方々の思考・行動様式は、ヤギ飼いのものになっていきます。つまり、一見、無駄と思えることを、丁寧に喜んでできるようになります。それが今の便利・効率化至上主義の社会を変えていくことにつながるのではないでしょうか。
少し大袈裟な視点ですが、本当にそう思っています。
「私のヤギ飼い記」で書いてきたことは、ヤギを飼うための心構えや準備、あるいは飼い主の責任、といったことが趣旨でした。あくまでも「私のやり方、あるいは考え方」になりますが、ヤギといる暮らしを考えておられる方の参考に少しでもなれば幸いです。
確かに、ヤギを飼いますと、それなりに世話をしないといけません。なかなか家を空けることも、従って気軽に旅行に出かけることなども、できなくなります。しかし、その何倍の、いや、何十倍のものをヤギは返してくれます。本当です。
季節の良い日の昼下がり、のったり目を細めながら反芻を繰り返す様子を見ていると、なんとも癒やされます。反芻は、ヤギが健康な状態にあって、しかもストレスを感じていない証しです。決まって機嫌の良い、微笑むような表情をしています。
私の場合は搾乳が日課で、一匹一匹、手搾りしています。母ヤギとのコミュニケーションのときでもあります。ヤギたちは搾乳の順番を知っていて、順番通りに並びます。私は、ヤギと世間話しをしながら、バケツにミルクをとります。子ヤギの様子や最近の出来事を訊いてみたりもします。
秋になると搾乳の手もかじかんできます。その頃には、北の国から渡り鳥がやってきて、ヤギ小屋の真上を啼き合いしながら飛んでいきます。そろそろ乾乳の時期だよ、と教えてくれます。
これらはすべてお金を積み上げるものでありません。でも、そんなことはもうどうでも良いことのように思えます。人は稼がなければ、生活していけません。お金は大事です。ただ、そのために心をすり潰してしまってはなにもなりません。便利で機能的な社会に居ますと、体は随分楽ですが、心が疲れ果てる気がします。
「ヤギといる暮らし」とは、そういうことです。
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