静かなヤギブームなんだそうでして
ヤギを飼ってみようと考えている方が増えているようです
SNSを含めたネット上でも、ハウツー書籍の出版でも、ヤギ情報がたくさん出回るようになっています
ただ、それらの殆どはヤギを飼うために必要な知識を得るためのものであり、
どういうものやことを準備すれば良いか、ということが書かれているものです
ヤギを飼い、つまりヤギとともに暮らすことで、この動物とどのように向き合っていくか、
ヤギが居ることと居ないことで、私たちの生活はどのように変わるのか、
なにを犠牲にしなければならず、どれだけ良いことがあるのか、
大変なこと、辛い思いをしなくて済むのか、
イヌやネコを飼うこととなにか違いがあるのか、そんなに気にしなくても良いのか
この「私のヤギ飼い記」では、そのように極めて身の周りのことですとか、
私の心の中のことですとか、
そういうことどもを綴ってみました
それはヤギを飼う方が100人居れば、100人とも違うことです
私はそのうちのひとりに過ぎません
それを百も承知で綴ってみました
ヤギの飼養に必要な知識や技術的なことは「ヤギ飼いFAQ」にまとめてあります
そちらも参考にしてください
私は、里山でレストランを経営する傍ら、ヤギを飼ってミルクをとり、野菜や果樹・ハーブを育て、それらを食卓にあげることを生業(なりわい)にしています。
このレストランは2011年に開業したもので、ヤギも同じ年の春から飼い始めました。それまでは都市部で会社勤めをしていました。見知らぬ土地に移り住んで、起業したというわけです。
十分な知識や経験のないまま始めたことですから、試行錯誤の連続でやってきました。
それでも、ヤギに関して言えば、大きな事故や病気などに遭わせることなく、ここまで順調にやって来ました。一緒に居る時間を十分とり、手を抜かずに世話をしてきたことに尽きると思っています。
もうひとつあげるとすれば、身の丈の規模でやってきたことです。ヤギは可愛いし、可愛いヤギが増えれば手元に置いておきたくなります。しかし、ある規模を超えると環境や労力のキャパシティを超えてしまい、飼養レベルが急激に低下します。いわゆる「多頭崩壊」、その始まりです。ヤギが病気になったり、死亡したりすれば、防疫などの対応に追われ、いろいろなことが後手に回ってしまいます。周囲にも迷惑をかけます。私の主業はあくまでレストラン。併設するヤギ牧場でドタバタを起こさない、もしもそういう事態になれば牧場は閉める、当初から決意していたことです。
本を読んだり、仲間に訊いたり、ネットで調べたり、研修を受けたり、さまざまな機会で、ヤギに関わる知識を吸収することもしてきました。そして、経験と工夫を積み重ねてきました。
自分の努力でできることを地道に続けてきたつもりです。
しかし、最も大事なことは最初の設計であり、それを愚直に守り続けていくことです。その説明から始めさせていただきます。
私が持っている土地などの飼養環境は、採草地が十分に広くとれないこともあり、理想的なものではありません。
そういう中で、飼う人間にとって、飼われるヤギにとって、そしてその周囲のみなさんにとっても、良い飼い方をするために、「目的や規模」と「持っている環境」と「かけられる時間(労働)やお金」との兼ね合い(バランス)を探ってきました。それは簡単ではありません。いまでも「試行錯誤」を繰り返しております。
ヤギを飼う「目的や規模」、「環境」、「かけられる時間(労働)やお金」。
これはひとりひとり、全部違います。私にとって「良い」ことが、他の誰かにもそうであるとは限りません。そもそも正解のないことです。
ただ、私の今日に至るプロセスや考え方は参考になるだろうと思います。そういう意味合いで、この「ヤギ飼い記」を書いていこうと思います。
※飼い方の「技術」に関わることは「ヤギ飼いFAQ」を参考にしてください。
ヤギを飼うために最も大事なことは、目的や大枠の構想を決めることです。
私の場合、
1.ミルクを搾乳する。自産店消のレストランのシンボルにする。レストランから出る野菜の残渣を餌にし、フンは堆肥にして畑に戻す、という食循環のパートナーでもある。
2.飼養環境は、1,000坪ほどの土地内で自宅兼店舗の建物に併設してつくる。
3.自営業であるので、時間はそれなり自由に使える。大がかりな投資は無理。
ということが大きな前提にあり、この条件をもとに大まかなスケッチをしました。
a.小頭飼いとし、導入するヤギは健康で丈夫な血統つきのものにする。
b.繁殖してミルクをとる(子ヤギは原則、里子に出して小頭飼いを保持する)。
c.レストランに併設するため、衛生には十二分に配慮する。
d.放牧だけに頼らず、乾草を併用して飼養する。
e.牡ヤギは飼わないで、人工授精で繁殖させる。
という基本線を決めます。
この決めが非常に大事です。
ヤギに限らず、生き物を飼うにあたって最も大事なことは、やはり「生命(いのち)を預かる」ということなんだろうと思います。飼いたい、という衝動だけで動いてしまうと、やがて行き詰まってしまいます。十分な心構えで臨んだつもりでも、実際にヤギを飼い始めると、毎日の作業に追われたり、「欲」のようなものが生まれ、この基本線がおろそかになってしまうことがあります。
お産や搾乳などから解放される冬場は、考えをまとめる良い期間です。私はこの季節を利用し、一年を振り返り、来春以降、どのように飼育していくのか、そのためにどんな準備と工夫が要るのかを毎年熟考します。人は変わっていきます。知識や経験を積み重ね、歳も重なり、周りの環境も変化します。私とヤギの関係も、徐々に変わっていきます。ですから、その都度都度にチューニングしていく必要があるのです。
それでも、最初に決めた基本線は微動だにさせません。基本を守りながら、柔軟に動いていく、それが大事だと思っています。
※基本線の背景
a.小頭飼いし、導入するヤギは健康で丈夫な血統つきのものにする。
使える土地と労力のキャパを超える頭数は飼わない。小頭のヤギを一匹一匹大事に育てていく。健康で丈夫な体質のヤギを導入し、継承する。
b.繁殖してミルクをとる。(子ヤギは原則、里子に出して小頭飼いを保持する)
子ヤギは3ヶ月齢のタイミングで、公募した里親さんに譲渡する。除角、去勢などを適切に施し、産子登録も行い、大事に育てて里親さんにバトンタッチする。純血ヤギの育種に貢献する。
c.レストランに併設するため、衛生には十二分に配慮する。
「牧場臭」がいっさいない衛生環境を造り保持する。フン清掃等の衛生ルーチンワークを愚直に徹底していく。
d.放牧だけに頼らず、乾草を併用して飼養する。
十分とは言えない採草地を前提とした栄養管理、運動管理を行う。
e.牡ヤギは飼わないで、人工授精による繁殖を行う。
悪臭防止と健康で丈夫な個体を継承させるため、インブリーディングを回避して、人工授精による繁殖を行う。必要な国家資格を取得する。
大まかなスケッチが描けましたが、ヤギに関する知識がまったくありません。そこで長野県佐久市にある畜産改良センタで研修を受けることにしました。3週間、家畜人工授精師の座学と実習を受講しました。講師の方や研修生仲間とのネットワークづくりも目的でした。有意義な研修でした。反芻動物の消化システムなど、生理の知識は絶対に必要なもの。このときに教えていただいたことを、それこそ反芻しながらこれまで過ごしてきました。
http://www.nlbc.go.jp/nagano/
ヤギを飼っておられる方は、近隣の町にもおります。そういう方々に師事を仰いだこともありますが、いろいろと非合理な決めつけもあります。農村で細々とヤギを個人飼いし続けてきた方には,伝承的な飼い方の名残が色濃くあるのだろうと想います。
もちろんそういう方々の経験則は貴重です。研修やマニュアルには見えないことをたくさん教えていただきました。
どちらが良いかどうかということではなく、いろいろな情報を入手できるルートをつくるということ、そして、そこから得られるものを鵜呑みしないで、選び分ける力を持つことが大事です。
私も会員になっていますが「全国山羊ネットワーク」という会があります。会報を年2回刊行する他、毎年、「全国山羊サミット」という大会も開催しています。このサミット、私は随分前に一度だけ参加したことがあります。マイナーなものを愛する者たちの結束力と云いますか、その連帯感が素晴らしく楽しかったです。この会には、ヤギ飼いの神様のような方々もいらっしゃるので、是非入会してみてはいかがでしょうか。
https://japangoat.web.fc2.com/
SNSでの集いの場もあります。そういうところに積極的に関わっていくことが良いと思います。
ヤギは草食性の反芻動物です。私たちが馴染んでいるイヌやネコと異なる消化システムであり、このことへの理解が非常に大事です。
ヤギ飼い歴が相応にあるためか、仲間から「様子が変なのだが」と訊かれることがままあります。お産のトラブル、鼓腸症、異物の摂取や中毒、腰麻痺、寄生虫、そしてつなぎ飼いの不具合といったものが多いように感じます。
生意気に聞こえるかも知れませんが、私はこのような病変や事故をほとんど経験していません。従って、事故や病理への対応力が高いわけでも、詳しいわけでもありません。
私たち飼い主側ができることは、ヤギという動物への基本的な知識のもとに、病気を発生させない飼い方をすることであり、予防することです。そして異変を見抜く観察です。異常を感じたら、素人判断せず、専門家である獣医に相談するしかないです。
知識を得ないでヤギを飼い出す ⇒ 知識のないままヤギを飼い続ける ⇒ 環境づくりや予防も特にしない ⇒ 事故に遭ったり、病気になったりする ⇒ 慌てて(獣医などに)相談する ⇒ 残念なことに手遅れになる
これは不幸の連鎖です。
無知によって、(自分では大切に大事にしていたつもりでも)粗い飼い方になり、病気や事故をもたらし、しかもその因をそのヤギの運命や生命力になすりつけることはやめていただきたい。最低限、必要な知識を得てください。飼う人間にとって、飼われるヤギにとって、そしてその周囲のみなさんにとっても良い、そういう飼い方を実践して欲しいと切に願います。
※少し偉そうなことを申し上げましたが、電話などでのお問合せを疎うものでは決してありません。これまでどおりなんでも訊いてくださって結構です。遠慮なく、どうぞ。
ヤギを飼い始めるには、ヤギ小屋などの物理的な準備が必要です。
ただ、経験のない最初の内から完璧なものはできません。年月をかけて段々と満足いくかたちになっていけば良いと構えてください。
私は、最初に6坪ほどのヤギ小屋を建てました。その状態で、2匹のヤギを迎えました。
当初は、リードでつなぎ飼いをしていましたが、自由に動き回れるようにしてあげたいと思い、ヤギ小屋の周りに25m四方の牧柵をめぐらせました。
やがて、ヤギ小屋に併設するかたちで干し草小屋を自作しました。始めの頃は、干し草を保管するだけで、必要な分はヤギ小屋に持ち込んで給餌していましたが、その後、改修し、首だけを突っ込んで、飽食できるようにしています。そのとき、ヤギが雨雪に濡れないよう前室を設けて屋根を張り出しました。
ついで、パドックに隣接する裏山にも50*20mの牧柵を巡らせ、採草用の放牧エリアにしました。
今でも毎年のように手を入れています。最初からやりたかったけれど、資金がなかったり、手が回らずに出来なかったこともあれば、飼養経験を積む内にああした方が良い、こうしたヵたが良い、という気づきも次々に出てきます。積み重ねて行けば良いのです。
2項で「知識や経験を積み重ね、歳も重なり、周りの環境も変化します。私とヤギの関係も、徐々に変わっていきます。ですから、その都度都度にチューニングしていく必要があるのです。」と書きました。私とヤギとの関係もそうですが、ヤギを飼うための物理的な環境にも、それは当てはまります。
これからヤギを飼おうと私の牧場に見学に来られた方はその施設などを見て「これだけの環境(施設)はとても作れないよ」と気が遠くなると云います。でも、コツコツと10年以上もかければ、どうにかなるものです。私は大きな資金をかけず、基本ひとりでやってきました。器用ではなく、大工仕事も得意ではありません。重機を扱うこともできません。そんな私でもどうにかやって来ることができました。どうぞ、ご安心ください。
注)ヤギ小屋は大工さんに建ててもらいました。牧柵の杭打ちはひとりでは無理なので、若い子をバイトにしてペアを組みました。ひとりですべて頑張らなくても大丈夫です。
大袈裟なことをしなくても飼い始めることができる。それもヤギの魅力のひとつです。
<新緑の頃>
飼うという立場になったとき、ヤギとイヌネコとの違いで、意外に大きなことは「ヤギは家畜」ということです。
ヤギは「家畜」です。例えどのような目的で飼おうが、家畜であるがための法を飼い主が遵守しなければなりません。法とは、
・家畜伝染病予防法(飼養衛生安全基準)
・飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律(飼料安全法)
・食品衛生法
・家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律(家畜排せつ物法)
などです。
そのため、ヤギを飼う時点で行政機関に届け出る義務があります。
届け出ますと、年に一度、報告物などの手間が生じます。面倒なものではありませんが、畜産事業を営む方と同じようなレベルの書類を求められるので面食らうと思います。
※めん羊やヤギの飼養数が6頭未満(つまり5匹まで)の場合は小規模所有者扱いとなり、簡易です。
まずは何故そうなのかをご理解ください。
家畜法の大きな役割に、伝染病の予防と拡散防止があります。
粗悪な飼い方や不注意が原因となって、最悪、口蹄疫などの重大な伝染病を発生させてしまったら、その町、あるいは更に広範囲に牛などを処分しなければなりません。それを仕事にしている畜産家の方に取り返しのつかない甚大な影響を与えます。
例えば、東国原さんが知事だったときに宮崎県で発生した口蹄疫では、29万7,808頭もの家畜の尊い命が犠牲になりました。口蹄疫はヤギにも罹る伝染力が非常に強い疫病です。
そういうリスクを持つ「家畜」を飼う以上、例え小頭で、商用目的でなくとも、伝染病などを避けなくてはならないのです。
それにしても、これらの法令や基準は、畜産農家ではない、小頭しか飼っていない方にはいかにも過重な気がします。現実的にどうすれば良いのかというガイドライン(のようなもの)が必要なのではないかと常々考えています。
そもそも、これらの法令は、家畜の健康そのものを護るためではなく「人が口にする食品を生産する家畜」が、人間に悪影響を及ぼすことを性悪説の視点で防止することを主眼にしています。人の社会を護るためのものです。畜産の現場で働く方の行動をマニュアルで規定し、防波堤となる設備を設けるという2つを軸にしています。病原菌を内部に侵入させず、発生させず、外部に漏出させないため・・・・・・ということをしなさい、と、まあそういうことであります。
そういう発想ではなく、ヤギを健やかに飼うためのルールということにした方が私にはすんなり来ます。人間社会に悪影響を与えない、という点は同じですが、似ていて非であります。私が日常的に行っている作業を棚卸しして、そこに不衛生・不安全な要素が漏れ残っていないかみつめてみました。ヤギそのものの健康を大事に考える性善説の立場です。
具体的には8項で触れます。
ヤギを飼ったら、行政機関に届け出なければなりません。イヌネコと違い「ヤギは家畜」です。
<干し草小屋の掃除>
失敗談をお話しします。
なにごともやってみて、いくつかの失敗を経験してこそ、習熟していきます。しかし、生き物での「失敗」は、相当心に痛みが走ります。
前々項で「病変や事故をほとんど経験していない」「飼い主ができることは、基本的な知識のもとに、病変を発生させない飼い方をすることであり、予防すること」などと偉そうなことを申しましたが、飼い始めの頃、初歩的なミスでお産を失敗し、母子ともに亡くす、という手痛い失敗をしています。今でもときどき思い出します。
予定日を1週間ほど経過しても陣痛らしきものがなく、獣医に診てもらったところ、赤ん坊が胎内で死産のままとどまっており、このままでは母ヤギも危ないとのこと。慌てて病院まで移送し、緊急の帝王切開を行いましたが、時遅く、母ヤギの命まで落としてしまいました。
思い起こせば、ああ、あのときに、という場面がいくつかあります。予定日の数日前、赤ん坊の鼻先が少し見え隠れすることがありました。もう少し注意深く観察し、ひっかかっているようなら引き出すなどの処置をすれば大丈夫だったでしょう。予定日を過ぎた頃には、きっと力が尽きて亡くなっていたのだと想われます。早めに獣医さんに相談していれば、少なくとも母ヤギは助かっていた筈。漫然と見過ごしてしまいました。正直に言えば、獣医代を惜しむ気持ちもありました。その卑小さが逡巡をもたらした、という情けない気分、それが後悔に輪をかけました。ヤギを飼う資格はない、と自分を責めました。
好きで飼い始めたヤギの命を、自分のミスで落としてしまった、あるいは怪我をさせてしまった。これは、どうにも慰めようがありません。悲しんで後悔するしかないのかもしれません。時薬(ときぐすり)が必要でした。
過失を完璧に防ぐことなどできないとしても、出来うる限りの準備で臨み、知識や知見を修得しておくことが大切です。その上での失敗は、貴重な教訓につながります。
私の牧場で、その後、病変や事故がほとんど起きていないことは事実です。それに慢心してはいけないと自分に言い聞かせています。具体的には、毎日の作業に手を抜かないこと、観察すること、そして自分はいまだヤギを十分には知らない、という自覚です。
ヤギのことはヤギたちから教わった、とつくづく思います。
<無事の出産>
ここに当牧場のガイドライン(のようなもの)をご披露します。
飼養管理衛生マニュアル(図面・写真)
飼養衛生管理マニュアル
日頃、私が行っている作業や衛生具などの配備状況をまとめたものです。当牧場の規模や実情を鑑み、「飼養衛生安全基準」に添っていないところもあります。現実に私ができるか、どうすれば無理なく牧場の衛生を護ることができるか、という視点でつくりました。清掃作業の内容にまで踏み込んでいるところもあります。参考になれば幸いです。
大事なことは、このガイドラインに私の作業が縛られているわけではない、ということです。私の作業がまず最初にあって、それを明文化したということなのです。
定期報告例(6頭未満の場合)
小規模1
小規模2
定期報告例(6頭以上であれば、こちらも必要になります)
6頭以上1
6頭以上2
基本的に、私は「衛生」を徹底して心がけています。
その思いは、ヤギを飼う当初からのものでした。レストランに併設しているため、牧場臭が一切しない牧場、であることをスローガンにしてきました。
まず衛生を保ち易い環境であるという幸運がありました。剥き出しの砂地がそうです。
私たちは、日本海の海岸から2kmほどのところに住んでいます。起伏のある隆起した丘の切れ間になります。雑草や雑木の力は旺盛で、一見、砂の土地とは分からないほど緑に覆われていますが、ヤギたちが普段生活するパドックなどは、ヤギに踏まれるため草が茂る間がなく、砂が剥き出しになります。
草が生えてこないのだから、採草という点では誠に困ったことで、隣接する裏手の山の斜面に採草地を設け、2種の牧草を混植しています。乾草が主体の飼い方になります。
ただ、「衛生」の観点からは理想的なのです。
水溜まりなどができず、水はけが良い乾燥地です。おしっこもすべて吸収されます。
夏場であれば、そこに直射日光。冬なら氷点下の木枯らし。さらには潮風が吹きます。
これで雑菌が抑制されるのです。
さらに私は「糞」をすべてさらいます。
毎朝、毎夕、小屋の床やパドックに落ちたフンをきれいに拾い集めます。拾ったフンが溜まったら堆肥場に持ち込み、1年ほど完熟させて、畑に戻します。食べこぼしの干し草なども掻き集め、焼却します。雨に濡れると腐敗を起こし、臭いや蠅の発生源になるからです。
これを毎朝、毎夕繰り返してきました。雨が降ろうと風が吹こうと、吹雪や台風などの大荒れの日でもやってきました。季節や天候、飼養数にもよりますが、日に4-6時間はヤギの世話に時間を費やします。その8割方はフン拾いなど、掃除の作業です。
ヤギ小屋の敷料は「モミガラ」を使っています。地域柄、いつでも無償で好きなだけ入手できます。汚れを感じたときに適機を逃さず交換しています。
飲み水は井戸水をバケツに垂れ流しし、いつでも新鮮できれいなものを飲めるようにしています。
干し草を首だけ突っ込んで飽食できるように設計しています。この干し草小屋にヤギが入り込んで汚すことはありません。
配合飼料は、別棟の小屋でコンテナに入れて保存しているので、盗み喰いや鼠の侵入などによる汚染の心配はありません。
鉱塩は、壁面にバスケットをくくりつけてその中に置いており、いつでも自由に舐めることができます。床に直置きすることはありません。
蠅や蚊、鼠の侵入を避け切ることはできませんが、周辺に水溜まりなどができないようにし、臭気や不衛生なもので寄せつけないよう注意します。また、侵入してしまったものを捕捉したり、殺虫するように努めます。
毎日の世話の時間は「観察」の時間でもあります。様子に変なところがないか、フンの状態や食欲はどうか、などをしっかり観ています。
こういうことなんです。きれいな環境を保ち、適切に餌や水をあげ、しっかり運動もさせる。日々の観察を怠らない。私にとって、衛生管理とは、愚直に基本作業をやり続けることに他なりません。
牧場は「劣化する装置」です。
たとえ最新の設備でスタートしても1年、2年経つ間に汚れ、それが堆積し、雑菌の温床になります。疲労骨折のように折れてしまえば、それが病気です。
その劣化を極力回避することを意識してきました。
そして、ヤギの栄養、運動などに留意し、免疫力をあげます。
病原菌の侵入圧とヤギ内部の抵抗力とで、常に後者側の壁が高くて優勢なら、病気になることはない、この一次予防重視が私の考えです。
ただ、私の飼い方で特異的にこだわるのはこれくらいで、あとは凡庸です。
餌は乾草と青草、配合飼料で野菜や果物の残渣が少し。栄養や食欲を増強するサプリメントなどは与えていません。子育ては親任せ。搾乳は手搾りだし、ディッピング剤などは使用せずウェットタオルです。駆虫も、基本、しません。腐蹄病の予防剤も乾乳軟膏も使いません。メーカーのカタログに心躍ることもなく、至って手つかずの領域がたくさんあります。
ヤギは素晴らしい子ばかりです。健康で体躯も堂々とし、泌乳量は高く、毛並みが艶々しています。是非、見学にお越しください。
飼って最初の数年は、私の牧場で病気などが発生しないのは運が良いからだと思っていました。あるいはなんらかの病変のサインを私が見逃しているのかも知れないと恐れていました。
やがて10年を超える歳月が経ち、存外、病気などに悩む飼い主さんが多く居ることに気づきました。一方、私の牧場のヤギたちは相変わらず平穏に日々を送り続けています。これにはなにかがある、単なる幸運ではなく、なにかの必然があると感じるようになりました。
いろいろ考えた結果が、この環境と衛生作業という一次予防のことです。
一次予防に力を入れ、病気を出さない飼い方はとても快適です。私が人の手をたくさん入れて飼っているように感じておられるなら、それは違います。基本だけはきちんと抑え、「手つかず」の領域をたくさん残すという考えです。ヤギが本来持つ魅力を十分発揮してもらうために、人の介入の少ない手法を選択しました。そのことをお伝えしたくて、この「ヤギ飼い記コーナー」をつくりました。
私は職業柄、ワインの勉強もしますが、自然農法でブドウを育てるワイナリーが増えています。そのためにはブドウをよく知り、ブドウの力を信じることが大事です。ヤギにも同じことが云えると思います。
ワインは、放置した果汁に野生酵母がとりついて発酵したことが起源です。やがて、農薬や培養酵母を用いて生産の量と質を管理・設計するようになりました。科学の力によります。その過程を過ぎ、今はブドウや自然に人が手を添えるかたちでのワインづくりが意識されるようになっています。このような醸造家は、ブドウづくりには強くこだわりますが、ワインの醸造に凝ることはしません。補糖やセニエなどしません。ブドウと酵母による「手つかずの領域」があってこそ、良いワインが生まれるという思想なのだと思います。
日本は四方を海に囲まれているので、私のように沿岸部にお住まいの方もいらっしゃるでしょうが、ヤギとなると、中山間部の風景が思い浮かびます。先に、ヤギの飼養には、沿岸の砂地の環境がさぞかし最適であるかのような書き方をしましたが、採草地の確保などで課題が多いことも確かです。
ヤギ飼いさんが100人居れば100通りのやり方があります。環境や事情や考えも100通りです。沿岸部には沿岸部の、中山間部には中山間部の悩みや良さがあります。それぞれの環境の特性を活かしたやり方が一番です。是非、健康で病気知らずのヤギ飼いを工夫してみてください。
<掃除を邪魔する肩乗りヤギ>
最近、グラスフェッドという言葉を耳にすることが多くなりました。
ヤギは、そもそも草を食べて生きている(Grass-fed)動物なのだから、泌乳量を上げるがために穀物を給与する(Grain-fed)のは生理に反する、やめようというものです。グラスフェッドミルクは栄養的にも優れていることが分かっています。
より安心で安全なもの、そしてエシカルなものへと、食品に求める消費者の指向も変遷しています。ただ、だからヤギをグラスフェッドで育てるべきとは一概になりません。
ヤギと栄養のことを書きます。
前項で“私の飼い方で特異的にこだわるのは衛生で、あとは凡庸”と云いました。そのとおりで、餌は乾草と青草、配合飼料で野菜や果物の残渣が少し、栄養や食欲を増強するサプリメントなどは与えていません。しかし、それは無頓着ということではなく、むしろこの終わりのない「栄養」という旅路をさまよっている感じです。
例えば、グラスフェッドで良いヤギを育てるためには、それを支えるだけの広大な採草地が必要です。かつ、その採草地に栄養の豊かな草が潤沢にあることが求められます。その支えが十分ではない土地で、グラスフェッドで育てると量と質の両方に劣るミルクしか採れなくなります。
ヤギを飼う方すべてがお乳を搾るわけではありません。コンパニオンとして繁殖しないで成体を維持するレベルで十分な場合があります。繁殖するにしても子ヤギが育ってくれれば良いのか、それとも人用にも搾乳するのか、それは自家消費で良いのか、チーズ等にして販売もしたいのか、ヤギに何を期待するかによって必要な栄養は大きく変わります。つなぎ飼いなのか、放牧地を自由に駆け回れるのか、そういう運動条件によっても必要な栄養は異なります。
乾草、青草、配合飼料、その他の餌。これをどういう配分でどれだけの量をあげれば良いのか。乾草と云ってもいろいろあります。オーツヘイやチモシー、オーチャードグラス、アルファルファといった種類、一番草、二番草、三番草。同じ一番草でも畑の場所による太さや柔らかさの違い。それぞれ栄養価も違えば、ヤギの嗜好も異なります。
青草はもっと多彩です。野に放ったヤギが、草木の葉や実を含め、どういうものをどれくらい補給しているのかを測定することはできません。
私の牧場は干し草(一番草)がベースです。飽食できるようにしています。春から秋にかけては放牧場で牧草を食んだり、野山から私が採取してくる青草もたっぷり与えます。イタドリやヨモギ、ニセアカシア、桑、山桜といったものです。農家の方からいただく芋のつるやリンゴ等果樹の剪定枝なども好物です。
搾乳期間を中心に、配合飼料も給与します。
ヤギは、本来の子育てに必要なミルクの量以上を泌乳するよう進化した動物です。野生でいるときよりも、長い期間、たくさん泌乳しますので、その分、多くの栄養が必要になります。それを補うという考えであって、搾乳量を上げるのが目的ではありません。過剰な給与は消化器系の病気が心配されるので控えています。母体にも十分な栄養が行き渡るように適量を与えるということです。
栄養を科学的に推し量る手段として、TDNやCPという指標があります。TDNとは可消化養分総量のこと、CPが粗タンパク質のことです。この数値によって食事内容のバランスが分かると云います。酪農家の方は、きめ細かく栄養管理を行い、牛乳の量や質をコントロールします。残念ながら、私にはそういう知識がないので、参考にする程度です。
全国山羊ネットワークが「山羊飼料計算プログラム」を開発中です。飼料基準の目安になるものができればありがたいことです。
現状では、日頃の観察を大事にしています。食べ具合やフンの様子、太り具合など。日常の様子で配合飼料の量等を個体ごとに微調整しています。BCS(FAQ.201項)参照。
離乳前後の子ヤギは、成体のヤギとは栄養を消化するメカニズムが異なるので、栄養のつけ方も違います。草を十分分解できる消化器官を育てる大事な期間になります。体重や月齢から適正な給与量などを計算して与えることになります。ここでは、これ以上の説明を省きますが、ヤギに与える「餌」が終わりのない旅であると納得いただけたと思います。
「グラスフェッド」が神話になれば、人間の側の思い込みが主人公になってしまいます。大事なことは「主役はヤギだよ」ということです。
<夢中で食べる>
<干し草、頬張る>
私が、栄養や衛生に気を配っているのは、根本のところは親が子を育てるのに似た心情からですが、レストランの食卓に上げるミルクだという責任感も大きいと思います。自分の商売で使うものが粗悪なことは看過できません。
チーズ、ポタージュ、ヨーグルト、パンに練り込む、アイスクリーム、プリン、ババロアなどなど、用途は多様です。
ヤギミルクを試飲した方は、あっさりしているが、実は濃い、という矛盾するような感想を言われます。料理に使いますと、どれも優しい味わいになります。滋味を帯びる、という感じです。
アレルギー性が低い食品でもあります。牛乳の主要なアレルゲンとなる、αS-1カゼインが蛋白質中に殆どありません。ただ、βラクトグロブリンという物質がありますので、非アレルギー食材とは言えません。感覚的な言い方になりますが、牛乳アレルギーの程度の重い方はヤギ乳でも反応することが多いように思います。消化に優れること、乳糖不耐症になり難いことは事実です。
昔から、オスヤギの傍ではミルクを搾るな、と言われます。ヤギのミルクは、脂肪球が小さく、環境の匂いを吸収し易いからです。
ミルクは搾乳後、数分の内に低温殺菌にかけます。細かい目の漉し器を通して容器に移し、65℃で30分。殺菌処理後、容器ごと、氷水につけて急冷します。細菌が増殖しやすい温度帯を短時間にくぐり抜けさせるためです。この作業は夫婦の連携でやります。私が外で搾乳する役、そのバケツを受け、殺菌処理などをする役目が妻です。
ヤギのミルクどれだけ美味しくて、優れたものであっても、一番大事なことは「安心と安全」です。栄養と運動と衛生管理を通じたヤギの健康と搾乳から殺菌・冷却までの一連の正しい行為があってのミルクなんだということを、これからも肝に命じて行きたいと思っています。
ここは大事な項です。
私は、数頭のヤギを飼っています。今は4匹。多いときは6匹、子ヤギが生まれると20匹近くになるので結構な大所帯と云えます。
毎春、赤ちゃんヤギが生まれ、ほどなく搾乳を始めます。子ヤギは3カ月齢の頃、里親さんに渡し、それからがミルク搾りの本番。初冬まで続きます。寒くなって、乳量も落ちてきた時点で次のお産に控えて、乾乳します。
ミルクは、レストランの食材に利用する他、ペット用として販売もしています。ペット食品業の方に卸してもいます。ただ、だからと言って、ヤギを増やしてミルクを増産していくつもりはなく、ヤギたちに十分目の届く、身の丈の範囲でこれからもやっていくつもりです。ヤギは賢いし、良く懐いてくるので、彼女たちの世話をすることは私にとって、楽しい大切な日課です。つまり、私にとってヤギは、ミルクという産物を通した仕事上のパートナーであり、と同時に家族の一員というべき存在になります。
そういうヤギとの距離感において、実に悩ましいことがあります。
ヤギに限らず、生き物を飼うにあたって最も大事なことは「生命(いのち)を預かる」ということなんだ、と先に(2項)書きました。しかし、実際に飼い始めますと、このことに反せざるを得ない場面に追い込まれることがあるのです。具体的に書きます。
牧場では毎春、子ヤギが誕生します。1腹2匹生まれることが多く、オスとメスの割合は半々です。メスの子ヤギはほどなく里親さんがみつかりますが、オスはなかなか難しいのが現実です。飼い易いように去勢しても、引き取り手がない場合があります。セリ市などの道筋のある地域が、正直、うらやましいです。
こういう子ヤギは然るべきタイミングで家畜商にお渡しすることになります。彼らの最終の行先を見届けたことはありませんが、厳しいものであることは間違いないでしょう。屠畜とか、実験動物とか、そういうことです。
心情的には残してあげたい。ただ、そうやって流されるとやがてキャパを超えて、多頭崩壊を招くでしょう。
家畜商に渡すことは、所詮、責任の転嫁である気がして、一度、屠畜センタに自ら連れて行ったこともあります。肉種の畜産家はいつもこういうことをしているわけです。私たちがスーパーで買う肉などもこの過程を経て流通しています。それは家畜の運命(さだめ)であり、それを家業とする方に、私の逡巡なぞは一蹴されます。しかし、家族同様の存在の非業は、やはり辛いです。
このことはオスの子ヤギだけではありません。ヤギは寿命よりかなり早い段階で出産・ミルク搾りから卒業します。そういう母ヤギたちを終身で飼い続けるのか、それができないとなると、引退後には家畜商に渡すのか、そういう問題が出てきます。
私は第一代のヤギたちは終身飼養しました。最後を看取るところまでやりました。
だが、二代目、三代目・・・という段になり、私自身の年齢が随分重なってしまいました。果たしていつまで飼えるのか、最後まで見届けることができるかという自問自答です。
ヤギを家族同様に大事に思っているのに、そのヤギに非業の運命を自らの判断で与えてしまう、という相反するところに身が置かれるのです。
最近になって、ようやく光が見えました。第二牧場をつくって、このようなヤギを耕作放棄地の除草に利用することです。その第二牧場の運営は、私ではない、若い農家の方が引き受けてくれることになりました。ゆくゆくは人とヤギ、人と人との交流の場づくりもしていきたいという夢もあります。
この試みは始めたばかり。全国的にもこのような事例はないような気がします。いろいろ紆余曲折を経るでしょうが、積年の課題が拓いたわけです。是非軌道に乗せたいと思っています。除草隊などのヤギビジネスに結びつけられれば、オスの子ヤギたちの活躍の場にもなります。
最近、ヤギ飼いの本がいくつか刊行されていますが、このような話題に触れることはありません。ただ、これからヤギを飼われる方には、この問題について、あらかじめ、きちんと考えていただきたいと願います。
ヤギを搾乳目的で飼うことは、すなわち繁殖が伴うわけです。新しい生命(いのち)の扱いに関する問題が生じます。それを回避したいなら、繁殖はさせずに、コンパニオンな存在として終身飼養することです。
「一匹飼いは可哀そうなので、二匹にしたい、どうせならオスとメスを飼ってミルクもとりたい」という、この「どうせなら」にはくれぐれもお気をつけください。お勧めしているのが、メスと一緒に去勢したオスを飼うことです。それが兄妹ヤギであれば理想です。ずっと仲睦まじく暮らすでしょう。
繰り返しになりますが、2項の「なぜ、ヤギと暮らすのか」は、本当に大事です。
ヤギを飼う「目的や規模」、「環境」、「かけられる時間(労働)やお金」。
ひとりひとり全部違って、しかも正解のないことに、まずは是非向き合ってください。
<第二牧場のヤギたちの散歩~雪の合間に小屋から出て>
「どうせならオスとメスを飼ってミルクもとりたい」という、この「どうせなら」は危険です、と言いましたが、ヤギを飼う大きな魅力のひとつはやはり「子ヤギをとって、ミルクを搾る」ことにあります。「そこに挑戦したい」という方に薦めるのが、人工授精による繁殖です。
そして、産まれた子ヤギを除角すること、更にオスであれば去勢する、ということです。
オスとメスを夫婦飼いし、自然なままに赤ちゃんが産まれ、・・・ということは、非常に耳障りが良いがしかし、out of control。やがて収拾がつかなくなる恐れがあります。
ミルクをとることは、繁殖させることであり、それは「産み出されたヤギを飼う」だけの立場から「新たなヤギを産み出す」側に廻るということです。重さが全然違います。
ヤギはそもそも一夫一婦制の動物ではなく、ハーレムを為すものです。一頭のオスがメスの群れに君臨します。淋しいだろうからと人間の自己満足で、種オスまで飼うことはいろいろな意味で負荷がかかります。牡ヤギは力が強く、身体も大きい、発情期の臭いも強烈です。小頭飼いで繁殖を目指す方は、是非、人工授精を選択してください。
次の利点があります。
・計画的に出産できる
・種オスを飼わずに済む
・インブリーディング(近親交配)を避けられる
・疾病(伝染性生殖器病など)を予防できる
デメリットもしっかり見ておきましょう。
・自然交配に比べ受胎率が低い(ヤギの場合は60%と言われています)
・費用がかかる(ヤギの場合は1万円/匹程度です)
*冷蔵精子2回分の費用、及び送料
・発情時期などを見定める観察力が求められる
近親交配(インブリーディング)について、少しご説明します。
近親交配は、牛の世界ではかなり前から問題視されていて、近交係数が黒毛和牛で10%、ホルスタイン種でも6%を超えるようになっているようです。いとこ婚(6.25%)のレベルです。近交係数が5%を超えると劣勢遺伝が発現し、さまざまな弊害が出てくることがあります。生まれながらにし、体躯がきゃしゃで虚弱な体質となり、どうしても病気がちです。
ヤギは、従来、閉ざされた地域社会の中で自然交配されてきました。その地域に居るヤギはすべて特定のオスの子であることが多く、その中での掛け合わせは近親交配に拍車をかけます。
ヤギの血統登録書には父方、母方双方の祖父母までが記載されています。掛け合わせる牡と牝の血統書を照らし合わせ、祖父母までが重ならないようにすると近交係数が5%以下になります。
遠縁の血統同士で交配する手段は、今の牡と遠い系統の種牡を導入するか、人工授精を行うかということになります。私が人工授精をお奨めする大きな理由です。
人工授精のメリットのひとつに「計画的に出産できる」ことをあげました。計画的に、とは遠い縁組を合わせることもそうですが、お産の予定日が分かる、という意味もあり、それが実に重要です。ヤギの事故で多いのは、出産に関わること。安産な動物ですが、それでも母ヤギは命懸けです。朝起きて牧場に行ったら子ヤギが産み落とされていて、折からの寒さから低体温症で亡くなった、ということをまま聞きます。お気の毒ですが、これは繁殖をヤギ任せにした飼い主の責任です。
私の場合、出産予定日の数日前から個室に隔離します。この時期から出産後の1週間までは常夜灯をつけます。母ヤギの足下も明るくし、赤ちゃんヤギを踏みつけて圧死させないための用心です。出産時は介助し、濡れた赤ちゃんの体を拭いたり、へその緒を消毒したり、初乳の授乳を見届けることは最低限したいものです。
牧場の牝ヤギたちも、精子を提供する牡たちも血統管理されています。この血統書を見て、どのメスにどのオスの精子をつけるか計画します。これによって、血が離れて劣勢遺伝が表出しない、つまり近親交配を避けた丈夫な子ヤギを得ることができます。
人工授精など大それたこと、果たして自分にできるか、と思われるかも知れませんが、処置自体は至って簡単。受胎率は60%と言われますが、最初はダメでも2回やるつもりで臨めば、まず大丈夫です。私はいろいろ工夫して90%くらいまで上げています。そのコツもお教えします。
https://www.nlbc.go.jp/nagano/
子ヤギは生後1週間のタイミングで除角します。これには賛否色々あろうかと思いますが、私は全頭に行います。放っておくと、ヤギの成長とともに角も育ち、先端はとがります。その高さが小さなお子さんの目の高さに重なります。ヤギに悪気はなくとも、振り返ったとき、そこにお子さんがいて、事故につながれば大変なことです。ですから、心を鬼にしてやります。ただ、子ヤギに強いダメージを与えないよう、獣医さんに来てもらい、全身麻酔をかけて施術します。
オスの場合は4週間で去勢の施術もします。リング法と言われるものです。種オスで引き取りたいという要望がない限り、オスの全頭に処置します。去勢を施したオスヤギは、尿路結石をおこしがちになります。それを予防する食事療法をその後、行っていきます。食事療法というと大袈裟に聞こえますが、スーパーでクエン酸のパウダーを買ってきて、飼料にパラリとまぶすだけです。
子ヤギが産まれてしばらく、ミルクは子ヤギのものです。人間はそのお裾分けをやがていただけることになります。
始めての母ヤギは、最初の頃、大暴れするかも知れません。やがて慣れます。
私の牧場では、搾乳の時間になるとヤギたちが行列をつくって並びます。足をあげないよう縛ってしまう方もいらっしゃいますが、躾次第でしなくなります。
人間の都合や気分で搾ったり搾らない日があるのはダメです。乳房炎という病気を招きます。
こうして翌年のお産の数ヶ月前までミルク搾りが日課になります。それが楽しいとワクワク思える方は頑張ってみてください。大変だなあ、と思われる方はそこまでを目指さないことです。
9項.栄養の項でも触れましたが、妊娠や出産、子ヤギの育て方には、細心の注意が必要です。そのため専門的な多くの知識や工夫が必要になってきます。それらは、とてもこの紙面で書き尽くせるものではありません。惜しみませんので、どうぞ個別にお問合せください。
ハードルが高いとは言え、ヤギを飼う大きな魅力のひとつはやはり「子ヤギをとって、ミルクを搾る」ことです。本音を言いますと、是非そこまでやってみて欲しいと思います。大変です、大変ですが、ヤギ飼い冥利に尽きます。
ヤギを飼う方は、大きく「自然派」と「管理派」に別けられる気がします。
自然派とは文字通り、ヤギの飼養や繁殖、子育てを自然に任せるやる方で、管理派はそうではなく、人間が科学的に介入できるところは介入し、よりレベルの高い飼養を目指すものです。私は自然派で、しかし一部に管理的な要素も取り入れている者だ、と自認しています。
中央アジアの放牧民に訊くと、飼い易いヤギの群れは300頭、と応えるそうです。肉をとり、ミルクを搾り、毛皮を鞣して生計を立てるためにも、それだけの数は必要で、それほどの頭数であれば必然的に自然派の飼い方になります。彼らにしてみると、私は、自然派からは遠い存在で管理派の典型なのかも知れません。この「ヤギ飼い記」に綴ったことも大方は理解されない気がします。しかしだからと言って、彼らの自然的なやり方が粗末で酷いかというとそうでもなく、なかなか工夫して理に適ったことをやっているようなのです。地域の文化や環境などに合った飼養のスタイルを持っています。
酪農家の方はほぼほぼ管理派と言えます。繁殖は100%人工授精、親子分離して代用乳を哺乳ロボットで上げるところも多くあります。人手をかけずに大規模化を図って産業性をあげる努力を続けてきました。
岩手を中心にした短角牛はそうではなく、夏期の放牧と冬期の舎飼いを組み合わせた夏山冬里方式です。子牛は 3~4月に牛舎において誕生し、 5月中旬から秋にかけて母子で放牧されます。放牧地で母牛は子育てしつつ,種雄牛との自然交配により,次の妊娠をします。北東北の厳しい自然条件、社会・経済条件に適応するように長い年月をかけて作り上げられてきたやり方で、自然と折り合った農業生産の典型と言えます。
もうひとつ別の視点でヤギ飼いさんを大別してみます。
人は誰しもいろいろな経験を経て成長していきます。しかし、それらの経験によって見たもの、得た知識というのは案外限定的で、裏に隠れて見えないものや経験の範囲では得られない知識がたくさんあります。それはヤギに関しても言えます。
積極的・能動的に、見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せるグループを「積極派」としましょう。
そうではなく、自らの経験の範囲や受け身で得られる情報に閉じてしまうグループの方も居ます。「受動派」とでもしましょう。
私は積極派の部族です。このサイトを訪問しておられる方もそういう方が殆どだろうと思います。ヤギを飼っている多くの方は「受動派」に属します。
知り合いの兼業農家の方は、役場に勤める傍らで米をつくっています。親のやり方を踏襲し、JA等からの技術指導を仰いでそつなく造っています。農薬も安全な範囲で使います。ただ、何故、どういう意味でその薬を使うのか、理解していないと言います。使わないで隣の田んぼの人に累が及ぶと叱られるから使っている、そうです。
好ましくないと想われるでしょうが、イヌやネコをお飼いの方は大体がこんな感じですよね。ペットフードやおやつを与え、なにかあればかかりつけの獣医に相談し、そのとおりにする。米でも、イヌやネコでも、それで済む社会をつくってきたのです。
ところがヤギに関しては、社会にそういうバックアップの基盤がありません。ヤギの飼い方を指導してくれる方も、ヤギに詳しい獣医さんも傍にはなかなか居ないものです。だから、飼う環境を飼い主が構築し、餌のあげ方も試行錯誤し、除角や去勢やお産の介助、里親探しまで飼い主がやり、様子が変な場合の応急措置も飼い主がやります。やらざるを得ないのです。
見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せた結果、自分は自然派で行こうとなったり、管理派に変わったりしていくことは、そのどちらであっても良いと思います。
ただ、是非「積極派」であって欲しい。見えなかったものを見ようとし、分からなかった知識を吸収し、それまでの経験を織り交ぜてこれからのことに想像を馳せることに喜びをみいだして欲しいと節に願います。
少しの知識があるだけで死なずに済む命もあります。
「家畜の福祉」という言葉があります。アニマルウェルフェアと言います。
「5つの自由」を掲げられています。紹介しましょう。
・飢えや渇きからの自由
・不快からの自由
・痛み、外傷や病気からの自由
・本来の行動する自由
・恐怖や苦痛からの自由
どれも当たり前のことに思えます。しかし、これが掲げられているのは、この当たり前が家畜の世界ではできていなかった証です。家畜は、英語で“Livestock”。人間に搾取され続けてきた動物なのです。
現代の社会は、個人の考えや生き方を尊重します。
自分の尊厳を守りたいという気持ちは、誰かを尊重することにつながります。誰か、とは人間でもあれば、生きとし生けるものであり、場合によっては地球という惑星のことでもあります。家畜もその一員に加えられるべきでしょう。
家畜とは、人間がその生活に役立つよう、野生動物であったものを馴化させ、飼養し、繁殖させ、品種改良したものをいいます。広義でとらえれば、人間自身も家畜です。
しかし、この「尊重」の優しい哲学は矛盾を帯びています。
人の命を支えるために、肉になったり、卵を産んだり、ミルクを出したり、そういう家畜たちを「尊重する」とは一体どういうことなのでしょう。5つの自由とは、実は非常に重い命題なのです。
イヌやネコを家族同様に可愛がる方もいれば、無残な状態で放置する人もいます。
人ですらも、戦禍の中で非業にも失われていく命があります。
平和な状態にある国にあって、ヤギを飼い、その命と向き合うことでなにかを深く考えるきっかけになる気がします。
答えはきっとないんだろうけれど、今のこういう社会だからこそ、私たちがそれぞれの中で抑えておかなければならない宿題です。
ヤギはそもそも自給的な色合いの強い家畜です。
昭和年代の中頃から激減しました。畜産の産業化を国が奨励し、牛や豚の育種に切り替えて、大規模化を進めた結果です。当時、全国で70万頭ほどもいたものが、今では3万頭に減り、農村でも見かけることがなくなってしまいました。
そのヤギを現代に復権するために、ヤギをビジネス利用できないか、という試みがあります。除草レンタル、ミルク、肉、毛皮、コンパニオン性などなど。ヤギでビジネスが成立すれば、ヤギを飼う人がもっと増えるだろうという算段です。
ヤギに限らず、仕事でお金を得るのは大変なことですから、さまざまな壁がありますが、たとえ「儲ける」までには至らずとも、ヤギを飼うという振る舞いがなんらかのかたちでお金になる、ことは大事だと思います。私の牧場のヤギたちも、子ヤギを有償で譲渡したり、レストランで利用し切れない分のミルクをペット用で販売したり、そういうことで幾ばくかの小遣い稼ぎをしてくれています。
こういうことがあると、ヤギをより一層「きちん」と飼うようになります。どなたかが、私のヤギのなにかに「価値」を認めてくださっているのです。励みになります。
それはヤギの輪を広げていく援護にもつながるでしょう。
但し、ヤギは、ヤギが持つ産業以外の有用性を活かすことのできる社会であればこそ、浸透していくものだという基本的な考えに変わりはありません。ヤギでビジネスを拡げる、というよりは、ヤギを飼うための経済的な負担から解放される意義、そしてヤギの有用性を社会も認めていると自覚できることの喜びの方が大きいような気がします。
私には、ヤギと子どもたちを結びつけたい、という夢があります。小学校と連携して「ヤギのいる学校」づくりができないか、ということです。
毎春、子ヤギが誕生しますと牧場に見学者がやってきます。殆どはお子さん連れです。そして、子どもとヤギたちの風景が実にいいのです。
春に産まれた子ヤギが、学校の夏休み明けに入学します。少し遅い入学式をやってもらいます。兄と妹の2匹が良いのではないかと思っています。オスは去勢します。
その秋の11月頃、メスに発情が来たら、人工授精を施します。
制度的にはレンタルが良いと思っています。つまり、ヤギの持ち主は私のままです。学校の冬休み期間などは私の牧場に戻して飼えば良いのです。
翌年の4月には新入生が入学します。そして、ほどなく子ヤギが誕生します。子ヤギは育っていき、独り立ちできる頃に夏休みが、またやってきます。
これでワンクール1年です。
今、近所の小学校の校長を交えて、いろいろ相談しています。先の項で「ヤギとビジネス」の話しをしましたが、私にとってヤギは、ビジネス(産業)の領域というより、日常の生活や暮らしの中にあります。学校という存在もまた、地域の生活の中に在ります。
そこにヤギが居て欲しいのです。
<雪だるまと子どもとヤギ>
ヤギを飼ってみようと思い立ってから、いくつかの準備をし、いざ飼い出してから紡ぎ出されて来た物語を振り返ってきました。
こうしてみると、思いどおりにいかなかったことばかり。ああすれば良いとか、こうしてみようという考えでやってきたことは大体がそのとおりにはなりません。
まずもってヤギは破壊魔であります。ヤギ小屋の柱は囓るし、薄い木板や波板などで気になるところは頭突きを根気良く繰り返して、いつの間にか壊します。
ネズミ捕りの粘着シートを仕掛ければ一番先に決まってヤギがかかります。ハエの誘引器など、届くところにあるもので、ああこれ、大丈夫かな、と思うものは、決まって大丈夫ではありません。フンを拾い終わってせいせいしていると目の前にやってきて、ポロポロ落とし物をしていきます。ありとあらゆるイタズラをしでかすのがヤギという生き物です。
牧柵を破って、外で悠々と散歩を楽しみ、放牧地の草はあっという間に食いつくして裸地になります。慌てて牧草の種を蒔いています。
100人居れば100通りの飼い方がある、と云いましたが、その100人が揃って言うことは、これじゃあ、飼っているのか、飼われているのか分かんないよ、でしょう。
ただ、振り返ってみますと、不思議なことに「飼って良かった」としか思えないのです。きっと大きな病変や事故に見回れず、健康体のヤギたちと一緒に暮らすことができて来たからなのだと思います。だから、とても幸せな気持ちになれます。
病気や事故の多い牧場であれば、きっとこうならないでしょう。
これまで書いてきたことはどれも基本的で大事なことですが、難しいものではありません。誰でもできることです。「想像」「観察」「学び」を働かせて、その誰でもできることをやってください。
当たり前のことですが、ヤギは私たち人間とは異なる動物です。ヤギたちが快適に暮らすためにどういう環境をつくり、どういう栄養を与え、どういう衛生方法で飼っていけば良いのか、「想像」し、「観察」し、「学び」を積み重ねてください。日々なにをし、定期的になにをし、いざというときにどうすれば良いのか、考えてください。ヤギを可愛がるということは、好物を与えて甘やかすことではなく、地味な毎日の世話をきちんと続けることです。
SNSのヤギ飼いグループでは、病気になってしまった、亡くなってしまった、という投稿が存外に多くあります。心が痛みます。先天的なものもあって飼い主の責任とばかりは言えませんし、生き物に生死があるのは、やむを得ないことです。しかし、防げられたと考えられるものも多くあります。
私は白髪頭の爺さんです。ヤギの世話をしていますと、作業着に白い毛がつくことがあります。あれっ、これ、俺なんだろうか、ヤギなんだろうか、と見分けがつきません。「想像」と「観察」と「学び」とが、その白い毛に凝縮されています。
話しが大きくなりますが。
私たちの食卓は、随分と脆弱な基盤の上に乗っているものであると思います。地方に暮らすと、耕作放棄地が年ごとに増えていく様を目の当たりにします。おつきあいしている農家や酪農家さんなどの声には、諦めのトーンが漂うようになってきました。「壊滅」という言葉が浮かんできます。
食料・農業・農村基本法が2024年5月に改正されました。産業振興を骨子とした旧法は廃止され、「食の安全保障」を主軸にしたものに生まれ変わります。ただ、いくら法律が変わったとしても、便利で効率が良い経済性の高いものを至上とする、私たちの考え(主義)や生活のスタイルが変わらなければ、世の中に良い変化は起きないでしょう。それは実に難しいことです。「Sustainability」といったお題をいくら唱えても、便利なモノ、快適なモノに慣れてしまった私たちに時代を遡ることはできないからです。そこで、私は、ヤギの飼養数がひとつのバロメーターになる、と真剣に考えています。
理由は簡単です。
・ヤギは飼い易いため、お子さんや女性の方でも十分世話ができる。
・ある程度の広さの放牧地などの環境があれば、十分飼える。
・家畜臭なども強くなく、愛らしい動物である。
つまり、大規模な施設などは無用。畜産の設備や技術がなくとも、少しの環境と手間とで、多くの方に広く分散して飼っていただくことができます。また、
・いくら飼い易いとは言え、その世話には手間暇がかかる。飼い主である人間に、丁寧な生活の仕方が求められる。
・健康になるためには牛乳を買って飲むより、毎日、ヤギの世話をして、規則正しく、体を動かす生活習慣を身につけることの方が大事であることが分かる。
・ヤギは草食の臆病な動物なので、人間の大袈裟な動作や大きな怒鳴り声などを嫌う。このような動物と接していると、飼い主が自然に柔和に穏やかになる。
つまり、ヤギを飼い出すと、せかせか結果を迫る成果至上主義的な思考から解放されます。今、頑張って稼いでいることが、幸せにつながるのか、逆にそれをそぐうのかを教えてくれるのです。
もし、ヤギを飼う人たちがこれから増えていくようなら、その方々の思考・行動様式は、ヤギ飼いのものになっていきます。つまり、一見、無駄と思えることを、丁寧に喜んでできるようになります。それが今の便利・効率化至上主義の社会を変えていくことにつながるのではないでしょうか。
少し大袈裟な視点ですが、本当にそう思っています。
「私のヤギ飼い記」で書いてきたことは、ヤギを飼うための心構えや準備、あるいは飼い主の責任、といったことが趣旨でした。あくまでも「私のやり方、あるいは考え方」になりますが、ヤギといる暮らしを考えておられる方の参考に少しでもなれば幸いです。
確かに、ヤギを飼いますと、それなりに世話をしないといけません。なかなか家を空けることも、従って気軽に旅行に出かけることなども、できなくなります。しかし、その何倍の、いや、何十倍のものをヤギは返してくれます。本当です。
季節の良い日の昼下がり、のったり目を細めながら反芻を繰り返す様子を見ていると、なんとも癒やされます。反芻は、ヤギが健康な状態にあって、しかもストレスを感じていない証しです。決まって機嫌の良い、微笑むような表情をしています。
私の場合は搾乳が日課で、一匹一匹、手搾りしています。母ヤギとのコミュニケーションのときでもあります。ヤギたちは搾乳の順番を知っていて、順番通りに並びます。私は、ヤギと世間話しをしながら、バケツにミルクをとります。子ヤギの様子や最近の出来事を訊いてみたりもします。
秋になると搾乳の手もかじかんできます。その頃には、北の国から渡り鳥がやってきて、ヤギ小屋の真上を啼き合いしながら飛んでいきます。そろそろ乾乳の時期だよ、と教えてくれます。
これらはすべてお金を積み上げるものでありません。でも、そんなことはもうどうでも良いことのように思えます。人は稼がなければ、生活していけません。お金は大事です。ただ、そのために心をすり潰してしまってはなにもなりません。便利で機能的な社会に居ますと、体は随分楽ですが、心が疲れ果てる気がします。
「ヤギといる暮らし」とは、そういうことです。
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